九鬼/周造
1888~1941。哲学者。東京生まれ。東京帝大卒業後、1921~28年、ドイツ・フランスに留学。京都帝大教授
藤田/正勝
1949年、三重県生まれ。京都大学卒業。現在、京都大学大学院教授。専攻は哲学・日本哲学史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
发表于2024-12-26
「いき」の構造 2024 pdf epub mobi 电子书
图书标签: 哲学 構造 思想史 九鬼周造 Kyoto_School Kuki_Shuuzou Japanese_philosophy A_kobo
粋とは何か――
日本文化を読み解く独創的哲学を懇切な注・解説でやさしく読む
「粋」とは何か? 横縞より縦縞が、赤・黄色より茶・鼠色が「いき」なのはなぜか? 著者はヨーロッパの哲学を下敷きに、歌舞伎、清元、浮世絵、文様等々の芸術各ジャンルを横断し、この美意識に潜む「異性への媚態」「江戸文化の意気地」「諦めと恬淡」を解読していく。生きた現実を哲学的に解明した名著に、豊富な注・解説を施して読む全注釈版。
生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあることを知っている。しからばこの現象はいかなる構造をもっているか。「いき」とは畢竟わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。現実をありのままに把握することが、また、味得さるべき体験を論理的に言表することが、この書の追う課題である。――(本書より)
全書を「方法論」と「概念的分析」とをはっきり分けうるということに疑わざるをえない点がある。つまり編者の提出したとおりに、もし九鬼のパリで書き上げた草稿はフッサールの本質直観という方法論を唱えたのであれば、田辺のハイデガー論文を読んでから、今度は「解釈学」へ改めた方法論が単に「方法論」についての唱え方のうえでの一種の「転向」であり、要としての「いき」に対する分析に何らの影響をも与えないのではないか。さらに、そうであるとしたら、どんな「方法論」を提唱しようとしても、内容的からすると「概念的分析」はただの一人歩きではないであろうか。この難点を最も著している症状は、「後記」で九鬼は認めている「概念的分析」の「ありのままの」乃至「現実」との食い違いに相違ない。
评分全書を「方法論」と「概念的分析」とをはっきり分けうるということに疑わざるをえない点がある。つまり編者の提出したとおりに、もし九鬼のパリで書き上げた草稿はフッサールの本質直観という方法論を唱えたのであれば、田辺のハイデガー論文を読んでから、今度は「解釈学」へ改めた方法論が単に「方法論」についての唱え方のうえでの一種の「転向」であり、要としての「いき」に対する分析に何らの影響をも与えないのではないか。さらに、そうであるとしたら、どんな「方法論」を提唱しようとしても、内容的からすると「概念的分析」はただの一人歩きではないであろうか。この難点を最も著している症状は、「後記」で九鬼は認めている「概念的分析」の「ありのままの」乃至「現実」との食い違いに相違ない。
评分正好之前读的海德格尔里提到,也是日本哲学的代表作之一,是该一读。简洁,明晰,亲民。充满江户风情的审美观“いき”,只可意会,不可言传,但仍可以通过本书的努力使其明确化,唤起日本民族对其独特美感的“自觉”。
评分全書を「方法論」と「概念的分析」とをはっきり分けうるということに疑わざるをえない点がある。つまり編者の提出したとおりに、もし九鬼のパリで書き上げた草稿はフッサールの本質直観という方法論を唱えたのであれば、田辺のハイデガー論文を読んでから、今度は「解釈学」へ改めた方法論が単に「方法論」についての唱え方のうえでの一種の「転向」であり、要としての「いき」に対する分析に何らの影響をも与えないのではないか。さらに、そうであるとしたら、どんな「方法論」を提唱しようとしても、内容的からすると「概念的分析」はただの一人歩きではないであろうか。この難点を最も著している症状は、「後記」で九鬼は認めている「概念的分析」の「ありのままの」乃至「現実」との食い違いに相違ない。
评分正好之前读的海德格尔里提到,也是日本哲学的代表作之一,是该一读。简洁,明晰,亲民。充满江户风情的审美观“いき”,只可意会,不可言传,但仍可以通过本书的努力使其明确化,唤起日本民族对其独特美感的“自觉”。
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