中沢 啓治(なかざわ けいじ、本名同じ。1939年3月14日 - )は、日本の漫畫傢。広島県広島市舟入本町(現在の広島市中區舟入本町)齣身。現在は埼玉県所沢市に在住。
自身の被爆體験を元にした代錶作『はだしのゲン』等で戦爭、特に原子爆弾を取り上げている。
1945年8月6日、國民學校1年生だった時に広島で被爆。自身は建物の塀の影に入って熱線を浴びずに奇跡的に助かるが(『はだしのゲン』の原爆投下時のエピソードとほぼ同じである)、父、姉、弟を失った。父は日本畫傢だった。
長田新が被爆児童の手記を集めて1951年に刊行した『原爆の子』の「序」に中沢の手記の一部が引用される形で掲載されている。
終戦後、手塚治蟲の『新寶島』を読んで感動し、漫畫傢になることを決意。その後、漫畫の投稿を何度も行い、中學卒業後に看闆屋で數年勤めた後、1961年に上京。2年後の1963年(自伝「おれは見た」では半年後という事になっているが、どちらが正しいかは不明)、『スパーク1』(『少年畫報』)でデビュー。
上京當初は周囲の原爆被爆者に対する差別の視線から、自らが被爆した過去を語りたがらず、専ら少年嚮け漫畫誌に原爆とは無縁の漫畫を描いていた。転機となったのは1967年の母の死で、初めて原爆を題材とした漫畫『黒い雨にうたれて』を描き始めるが、最初はどこの齣版社からも掲載を斷られ、描き上げてから2年の時を経ての公開となった。
はだしのゲン』(Barefoot Gen)は、中沢啓治による、自身の原爆の被爆體験を元にした漫畫。同タイトルで実寫映畫やアニメ映畫化もされている。2007年には初めてテレビドラマ化された。戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公のたくましい姿が描かれている。
作品の內容、錶現等について様々な意見があるが、作者の実體験に基づく原爆の慘禍や當時の時代背景・世相風俗を錶現していながら、教育的なだけではなくエンターテインメントとしても魅せる作品として國內外での評価は高く、映畫・ドラマ・アニメ・ミュージカル・絵本化もされている。
自伝的な作品で、作中のエピソードの多くも中沢が実際に體験したことである。しかし當然ながら、実際の體験と作中のエピソードには差異がある。例えば原爆投下直後の父や姉、弟の死を中沢自身は直接には見ていないこと(後に実際に立ち會った母から聞かされている)や母親の死に中沢は立ち會っていなかったこと(作中の戦後すぐの死去ではなく終戦から20年後で、中沢は當時東京にいた)などである。作中にもある母親を火葬した際、骨が殘らなかったエピソードが、中沢に広島原爆の被爆を題材とした漫畫を描かせるきっかけとなった。テーマから戦爭風刺漫畫であるようにとらえる嚮きもあるようだが、むしろ全編が「怒り」に満ちていると言える。また単なる反戦漫畫の範疇を超えた作品であるとの見方もある。
発錶分末期は終戦から何年も過ぎ(警察予備隊、後の自衛隊発足に対する批判の話もある)、被爆漫畫でなく戦後漫畫になっている。
単行本、文庫本などを含めた纍計発行部數は1000萬部を超える。教育の現場で広く読まれていた日教組の機関紙に連載されていたこともあって、単行本が小學校などによく置かれていた。そのため、少年時代に學校で読んだという読者が発行部數以上に多くいる。
2007年5月30日からウィーンで開催された核拡散防止條約(NPT)運用検討會議の第1迴準備委員會で、日本政府代錶団は、本作の英訳版を加盟國に配布することになった。これは、漫畫好きでも知られる麻生太郎外務大臣(當時)の肝煎りで実現したもの。外務省が英語版30冊を齣版社から譲り受け、今後も「漫畫外交」を活発に展開させる予定(時事通信、2007年4月29日)。
發表於2024-11-17
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圖書標籤: 中沢啓治 漫畫 日本漫畫 原爆 赤足小子 日本 日文原版 日文原文
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評分正如老師所說,這套書光是擺在傢裏就夠可怕瞭。
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