中國の都城と皇帝陵は、皇帝の生前と死後の居所として造られた。皇帝製度が始まった秦代から、すでにこの二つの建造物の造営は極めて重視されていた。始皇帝が統一帝國の新たな中樞とすべく阿房宮を核として大規模に拡張した鹹陽、そして自身の死後の宮殿として築いた驪山である。文字通り空前絶後の規模を誇る巨大建築群の造営は、統一された帝國の経済力と、多量の労働力を徴発し、それを運用する官僚機構があって初めて可能であり、帝國の力を如実に示すものである。ごくありふれた言い方ながら、こうした巨大建造物の造営は、皇帝権力を可視的なものとし、見る者を圧伏する目的を持つ。これらの建造物の造営は以後の中國に継承されるが、王朝毎に姿を変える。建造物に與えられる役割が王朝によって異なるからである。現在に殘された都城や陵墓の遺跡の調査成果と、関連史料とをあわせて考察を加え、これらの建造物の造営が各王朝にどのような意味があったのか、いかなる役割を期待されたのかを明らかにするのが本書の目的である。対象とする時代は漢代から魏晉南北朝時代とし、以下の三篇に分けた。
第一篇は漢代を取り扱う。前漢と後漢では儒教との関わりが大きく異なる。前漢が統治體製の範の多くを秦にとったのに対し、後漢は建國の當初から儒教を統治イデオロギーとしており、同じ漢であっても禮製の在り方は大きく異なる。禮製に直結する都城プランと皇帝陵の姿は、王朝中樞への儒教の浸透により大きな変容を遂げたと考えられるのである。そうした違いが両王朝の都城、陵墓にどのように現れ、それが王朝の正統性を如何に錶徴していたのか、そして以後の王朝にどのように継承されたのかを検討する。
第二篇は魏晉南北朝期を扱う。分裂期であり、しかも異なる民族による王朝が陸続と生まれたこの時期は、都城や陵墓も數多く造られ、それぞれが特色のある建築として立ち現れた。それらの共通點と、相違點を明らかにすることで、それらを築いた各王朝がどのような體製を目指していたか、何に支配の正統性を求めたのかが明らかにできるのではないだろうか。そうした見通しの下、それぞれの王朝の都城、陵墓に考察を加える。
第三篇は第一、二篇で取り上げた宮城に関しての総括的な論考と、隋代の宮城について論及したもので構成した。個別研究を受けての総閤化を試みたものである。
本書で試みたのは、都城、陵墓の遺跡の調査成果を通じて各王朝の王権の在り方、正統性の根拠の差異を明らかにするというものである。中國における遺跡の調査は今後も大いに進展すると思われ、本書の結論も新たな成果を受けて常に検証され続けねばならず、あくまで現時點での素描となる。ただ、各論考では、発掘報告の記述と、現地踏査による観察の結果を組み閤わせ、都城と陵墓という研究対象にどのように嚮き閤えるのかを示すことを心掛けたつもりである。諸賢の批正を乞う次第である。
發表於2024-12-23
漢魏晉南北朝時代の都城と陵墓の研究 2024 pdf epub mobi 電子書 下載
圖書標籤: 漢魏晉南北朝時代の都城と陵墓の研究 魏晉南北朝史研究 魏 漢 晉 南北朝
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