序章
はじめに
一 明代の皇帝政治
二 世宗と管志道
(一)政治史のアプローチ
(二)思想史のアプローチ
(三)本書の目的
三 世宗をめぐる政治状況
(一)明代の諸制度
(二)大礼の議
おわりに
第一章 「君臣同遊」の変遷
はじめに
一 洪武年間の「君臣同遊」
(一)『御製大誥』の「君臣同遊」
(二)南北榜事件をめぐる「君臣同遊」章のイメージ
二 「君臣同遊」の変容の開始
(一)景泰年間における「君臣同遊」章
(二)成化年間の科挙における「君臣同遊」章
(三)丘濬の「君臣同遊」章解釈
三 弘治年間の「君臣同遊の盛」
おわりに
第二章 明代における大臣召対の位置
はじめに
一 弘治朝の大臣召対に関する史料
(一)『孝宗実録』中の召対記録
(二)劉大夏『宣召録』と李東陽『燕対録』
二 弘治朝における召対要請
(一)召対要請の趨勢と朝廷政治
(二)吏部尚書屠滽の失態
三 「弘治召対」の歴史的位置
(一)「弘治召対」のイメージ
(二)孝宗の大臣召対の目的
四 嘉靖初年における大臣召対
(一)世宗即位直後における召対要請
(二)大礼の議における内閣召対
(三)嘉靖初年における召対の目的
おわりに
第三章 嘉靖六年年末の内殿儀礼改定
はじめに
一 内殿の成立と儀礼
(一)内殿の概略
(二)崇先殿の成立
二 嘉靖六年年末の政局と内殿儀礼改定
(一)世宗と当時の内閣
(二)内殿儀礼改定の顛末
三 世宗の「詢謀僉同」
(一)御製『忌祭或問』の執筆
(二)「詢謀僉同」の実践
おわりに
第四章 嘉靖十年の大臣召対再開
はじめに
一 嘉靖九年以前の大臣召対の途絶
(一)嘉靖年間における大臣召対の記録
(二)嘉靖九年以前の大臣召対要請
(三)嘉靖九年以前の大臣接見の実例
二 大臣召対再開に至る経緯
(一)張璁・李時・夏言
(二)郊祀礼制改革における世宗の書面政治
(三)郊祀礼制改革をめぐる世宗と張璁の対立
(四)禘祭をめぐる意見対立
(五)召対再開と「君臣同遊」の宴
三 召対再開後の世宗の政治
(一)嘉靖十年九月二十九日の大臣召対
(二)大臣召対の位置付け
おわりに
第五章 嘉靖朝における勲臣の政治的立場—武定侯郭勛を例に
はじめに
一 世宗即位当初の郭勛
(一)大礼の議以前の郭勛
(二)大礼の議における郭勛
二 郭勛の失脚と再起用
(一)郭勛の失脚
(二)郭勛の再起用
(三)郊祀礼制改革と勲臣
三 勲臣の重用と世宗の理想
(一)郭勛の政治関与
(二)郭勛重用の背景
(三)郭勛から朱希忠へ
おわりに
附論一 桂萼の賦役制度改革論
はじめに
一 桂萼の賦役制度改革体験
(一)桂萼の履歴
(二)知県時代の桂萼と賦役制度改革
二「請修復旧制以足国安民疏」の提出
三「任民考」の提出
(一)「任民考」の内容
(二)「任民考」と桂萼の処世
おわりに
附論二 夏言の著作について—『桂洲先生文集』と『桂洲奏議』を中心に
はじめに
一 『桂洲先生文集』・『桂洲奏議』の各版本
(一)『桂洲先生文集』の各版本
(二)『桂洲奏議』の各版本
(三)その他の夏言の著作
二 『桂洲先生文集』の各版本の成立
(一)万暦本
(二)崇禎本
三 『桂洲奏議』の各版本の成立
(一)江西本
(二)田汝成本
(三)王言本
(四)呉春本
(五)乾隆本
おわりに
附論三 霍韜の年譜について—『宮保霍文敏公年譜黄淮集』と『石頭録』
はじめに
一 『黄淮集』と同治本
二 李福達の獄と霍韜
三 宿敵夏言と盟友郭勛
(一)夏言・郭勛に関する記事の異同
(二)異同の原因
おわりに
第六章 管志道の思想形成と政治的立場—万暦五年張居正奪情問題とその後
はじめに
一 万暦年間の政局と張居正奪情問題
(一)嘉靖・隆慶・万暦の内閣首輔たち
(二)張居正奪情問題と管志道の政治人生
二 管志道『奏疏稿』序文の奪情劇
(一)管志道『奏疏稿』の構成と序文
(二)張浩「万言書草綴言」の奪情劇
(三)管志道の立場——我無官守、我無言責
三 管志道の復職活動
(一)『奏疏稿』序文と復職活動
(二)『星変志』の奪情劇
(三)王錫爵と管志道
おわりに
第七章 管志道『従先維俗議』の政治思想
はじめに
一 『従先維俗議』の書名と主張
(一)先進としての太祖の法
(二)「矩」の所在
二 管志道の道統論
(一)明朝政治に対する認識
(二)朱子学・陽明学への批判
三 秩序の再構築
(一)中央政界と地方社会
(二)官守と言責
おわりに
終章
参考文献一覧
引用文献一覧
あとがき
索引(人名・事項・書名)
英文要約
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收起)